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コンタクトを活用するテクニック

視覚は、私たちの生活や行動を支える基盤です。
ところが、幼いころから大人になるまで、私たちは正しい眼の使い方を意識したり、学んだりする機会がほとんどありません。眼の使い方にも、ほんとうは「いい使い方」「効率的な使い方」と、「わるい見方」「無駄な使い方」があります。
それは、野球のボールを投げるとき、正しいフォームや効率的な身体の使い方があるのと同じです。私の経験から言うと、上下に眼を動かすとき眼球の動きが優先している人は、近視の率が少ないようです。
また、書いたり読んだり食事をするとき、顔を下に向けるより眼球だけを下に向けているほうが、美しい姿になります。現代人は、少し前の世代に比べて眼を酷使しているようでいて、実は眼球を動かす度合いが少なくなっています。
テレビやパソコン画面を考えればわかるとおり、同じ場所をじっと見つめている時間が長いでしょう。動かすとしてもせいぜい画面の範囲です。
眼球を、可動範囲いつぱいに動かす機会など、日常生活ではほとんどありません。これが逆に、眼の疲れの原因になっているのです。

正解は適度に眼球を動かしたほうが、眼の周りにある外眼筋がほどよく刺激され、正座でしびれを切らすのと同様に、眼の筋肉も硬直して疲れてしまいます。眼球を動かさなくなった日本人。
最近は、眼球を動かさない日本人が増えています。日本には昔から、眼をキョロキョロ動かすことを良しとしない風潮があります。
そのせいではないでしょうが、眼球を素早く動かしたり、眼の動きをつかって身体を導く動作を最近はあまり見かけません。バレリーナがスピンで眼を回していたのではバレエになりません。
それはなぜでしょう?日々の練習でもう慣れているから。正解は眼が回らない眼の使い方をしているのです。
というより、眼の使い方が素早く美しいスピンを生み出す大切な基本のひとつなのです。バレエやダンスを習っている人には説明するまでもない常識ですが、スピンするとき、ダンサーの眼は常に正面を向いている意識なのです。
回転するときはまず眼を先にそちらのほうに向け、首を素早く動かし、1回転したら必ず眼は正面にもどす。その繰り返しです。
眼が必ず正面を向いているからこそ、身体の軸は保たれ、素早くてキレのいいスピンができます。こうすれば、眼も回りません。
横を向くときは漠然と首も肩もいっしょに動く、切れ味のない動作がほとんどです。そういう仕草では、眼球も固定されがちです。

実質的に、眼球を眼の中でほとんど動かさない生活を毎日繰り返していれば、眼の筋肉の柔軟さは失われ、硬直した感じになります。もちろん最近の日本人にも例外はいます。
サッカーのN選手はその代表格でしょう。常に周囲の動きを把握するために、N選手は基本的なパスの練習をするときも必ずトラップする前に右や左を見る癖をつけていたのは有名な話です。
首を素早く動かし、すぐ正面にもどす。ほぼ後ろに近いところまで首を回して一瞬にして見る。
それからまた相手にパスをもどす。上体の向きはぶれません。
しかも、N選手は強く1点を凝視するような見方をあまりしません。だから、眼球が硬く固定する感じがほとんどありません。
いつも眼は泰然として、次の瞬間、どちらにも機敏に眼球を動かせる準備ができているのです。このエピソードは、もうひとつ、大切な眼の役割を教えてくれます。
それは、眼が身体をリードする働きです。身体が動くのは筋力のおかげ、スピードを生み出すのも筋力だと思い込んでいる人が少なくないと思います。
けれど、眼の動かし方ひとつで、身体の動きやスピードに大きく影響を与えることを覚えておいてください。ゴルフの練習場に行くと、それと反対の光景を見ることができます。
「打ったあと、ボールのあった場所からすぐに眼を離すな」という教えを律儀に守ろうとする人のなかには、眼といっしょに顔も残してしまう人がいるのです。バックスイングでも眼をボールから離さないよう気をつける。

そのため顔が固定され、顎が硬くなり、身体の動きまで制限され、なんとも窮屈な動きになってしまいます。眼はボールから離さなくても、顎や顔はスムーズに動かしてこそ、スイングの瞬発力が生み出されるのです。
寝たきり老人の介護をしているベテランから聞いた話ですが、介護のベテランは、ベッドに横たわっている人の身体を動かすときに、眼の動きを利用するそうです。反転させたい方向にまず眼を向けてもらうと、さほど力を加えなくても楽に向きを変えることができるそうです。
投手のどこを見てボールを追い、打ち返すのでしょう?漠然と全体を見ている?タイミングを測りながら、ボールの出てくる場所をずっと見ている?投手の持っているボールをずっと凝視している?論理的には「投手のボールを見た、判断した、打った」というプロセスで打者はボールを打っていると説明するのが普通ですが、実際には「来た、打った」、しかも「来た」と「打った」はほとんど同時のようです。N監督の現役時代はまさにそういう感覚でしょうし、I選手もそのような感じです。
それはけっして、「ボールを見なくていい」「ボールから目を離していい」という意味ではありません。けれど、多くの人が考えているような、ボールを凝視する状態でないことは明らかです。
強く見ようとすれば身体にも力が入って、反射的で素早いスイングはできません。内斜の傾向が強い人(寄り眼がちになって、焦点が見ようとする対象より手前で合ってしまう人)なら、「もっとよく見よう」とすればするほど、焦点がボールより手前に来てピントが合わない。
ボールが2つに見えかねません。ですから、「正解に近いのは何だろう」と書いておきます。
正直なところ、これが正しいと断言することはできません。選手によって、いろいろなタイプがあるからです。
けれど、いままでの経験を総合すると、強打者と呼ばれる選手ほど、投手がフォームを起こしている最中はそれほど投手の投げる腕やボールを強く見ていない傾向があります。すでに書いたとおり、集中するのと強く見るのはちがいます。

自然に身体が動いて最高の結果が導かれるときというのは、外の眼と身体はリラックスし、内の眼の記憶によって無意識に身体が動くときです。「そうは言っても打撃の場合はボールをちゃんと見なければ打てないだろう」と反論されそうですが、打っている選手の感覚は「見ようとして見た」のでなく、「見えてしまった」ほうが強いようです。
当然、外の眼は使います。けれど、外の眼が能動的に動くのでなく、内の眼に触発されて受動的、反射的に動くのが快打を生む仕組みのように思われるのです。
好打者になればなるほど、打った直後に「あ、気がついたら打っちゃった」という感覚のように、のんきです。そんな表現をするといかにも呑気な感じで、真実味がないかもしれません。
が、外の眼の力の入れ方はきっとその程度なのです。それが体感的にわかっている選手は好打者として活躍し、わからない人はそれなりの成績しか残せない平凡な打者と言えるかもしれません。
思い切って真剣に見ることをやめ、「見る」のでなく「見える」世界の感覚をつかもうとチャレンジするのも自分を飛躍させる大切な試みです。眼と脳と身体のコーディネーションを高める私たちの日常生活は、眼と脳、眼と脳と身体のコーディネーションの連続です。
これがスムーズにできていれば、心身のストレスは軽減され、無意識のうちにさまざまなことが楽にできます。

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